ぬり絵は脳全体を活性化させる
ぬり絵といえば“子供の遊び”と思いきや、若い女性のストレス対策としてブームになり、今は高齢者のケアとしても注目されている。一見、幼児でもできる単純な作業にどんな秘密があるのか。
ぬり絵の効果を研究し、病院や高齢者施設などでの検証も重ねている精神科医の古賀良彦さんに聞いた。
◆人間たる所以「やる気」を効果的に刺激するぬり絵
「下絵を見て、色鉛筆を手に取って塗る。この間にも脳の中は目まぐるしく働いているのです」と、古賀さんは言う。
白い画用紙に一から絵を描くことに比べても、それほど“頭を使う”ようには思えないぬり絵。脳ではどんなことが起きているのだろう。
「まず下絵を見ます。有名な絵画を題材にしたものなど、色のついた手本がある場合は、下絵と手本の両方を見比べる。目から入ってきた情報は、脳の後ろ側にある後頭葉の視覚中枢で受け取り、分析。脳の最上部、頭頂葉では、見たものの色形や位置関係などをしっかり見定めます」
この時、脳の側面、側頭葉では見たものの色形の記憶を蓄積したり、以前に蓄積した記憶をたどったりしてスタンバイしているという。
「次に情報が脳の前側、前頭葉に送られる。ここでは、見たものや記憶を総動員して、どこからどの色で塗っていくかなどのプランを立てます。
前頭葉の、ちょうど目の上のあたりには“やる気”に関係する部位、奥の方には情動にかかわる部位があり、“よしやってみよう!”となれば、前頭葉と頭頂葉の間あたりにある運動野に指令が行って、実際に手を動かします。
こうして見ると、ぬり絵は脳全体がまんべんなく使われるのがわかります。読書やなぞり書きなどの作業と比較した検証実験でも、ぬり絵の脳血流量の増加(活性化)が顕著という結果が出ています」
ほかにも古賀さんの行った実験で、認知症の人を対象に1か月間ぬり絵を行ったところ、特に重症者の多い病院患者の成績(HDS-R改訂長谷川式簡易知能評価スケール)の向上が際立ったという。
◆夢中になることでストレス解消になる
ぬり絵という簡単な作業でこれほど脳が活発に働いているのも驚きだが、この簡単な作業で高い効果が得られることがぬり絵の長所だという。
「たとえば料理やジョギングでも同じように脳が活性化しますが、高齢者には負担が大きい。別のリスクを伴うことにもなりますね」
ぬり絵の場合は準備と後片付けが簡単。「今日はここまで」と途中でやめたり、再開したりもできる。単純作業のため、やっている間の少しの時間、夢中になれる。実はこれが脳にとっての大きなストレス解消になるという。
「日々生活していると誰でもストレスを受けます。そんな時、脳はホルモンを分泌して心身がうまく働くようにコントロールしていますが、ストレスがかかりすぎると脳自体が弱り、さまざまな不調が表れるのです。
ストレスフルな状況を、別の作業に夢中になって一瞬でも忘れることが、効率的なストレス解消。それも“たまに”ではなく、20分くらいずつでも“こまめ”に行うのがよいのです」
高齢者はのんびり見えて、心身の衰えや家族、周囲との人間関係で大きなストレスを抱えており、意識的にストレス解消を試みることが必要だと古賀さんは言う。ぬり絵が高齢者施設でのケアに盛んに取り入れられているのも、そのあたりに理由があるようだ。
「アルツハイマー病でものの位置関係を認知する頭頂葉の機能が低下すると、自分がどこにいるかがわからなくなり迷子になったりします。こんな状態でも、絵のコンパクトな構図に向き合ってぬり絵を楽しめば、衰えた部位のトレーニングになるのです。認知症があっても、ぜひ気軽にやってみてください」
◆高齢ビギナーは手本つきを。慣れたら好きな絵を選ぶ
老親へのプレゼントとしての、高齢者向けのぬり絵の選び方を聞いた。
「最初は手本のあるものが始めやすいでしょう。ぬり絵の醍醐味は、やる気が湧いて夢中になること。理論的に考え、やる気や面白がる情動を動かす働きは、人間だけが発達している“人が人たる所以”といわれる活動ですが、それだけ働かせるのにエネルギーが必要です。 高齢者は活性化したい部分ですが、少々ハードルも高い。
そこで、手本のとおりに塗っていけば楽に成果が手に入る形にすると、グンとハードルが下がります。好きな絵柄を選ぶのがいちばんですが、浮世絵など日本画が題材のものは、輪郭線がはっきりしているので塗りやすくおすすめです」
慣れてきたら手本なしのぬり絵で、オリジナリティーを発揮。複雑な構図にも挑戦したくなれば、ますます楽しくなりそうだ。